横濱戦術四天王(仮)~マリノスの戦術を読み解く〜

横浜が誇る戦術四天王による、横浜F・マリノスについてのつぶやきをまとめます。 ちなみに、あと2人がみつかりません。

★新春★【エリクは攻守のプレイモデル(原則)を選手たちに与え植え付けてきたが、それはベースとなる原則であり、そのベースの上に如何なるプレイを選択しゲームを作るかは選手個々の判断、責任において為される。「ルールを守っていれば叱られない」ピッチは小学校ではない。自分で考え、決断しなければ by 蒼井真理】 about エリク横浜3シーズンの総括(4)

f:id:harukazepc:20170419105933p:plain蒼井真理

★新春★エリク横浜3シーズンの総括シリーズ


■エリクのパーソナリティ

エリク・モンバエルツ監督の志向と嗜好と思考。類型的にどんなタイプの監督で、彼の監督としての特性や人間性マリノスに何を残したか。そして彼から何を学んだか

・諦観と中庸の指揮官

ある種の割り切り、目の前の与えられた状況を受け入れ偏りないバランスを重視したチームマネジメント、育成。実にオーソドックスで普遍的、流用性あるベーシックな型を落とし込む教育者タイプの監督

監督の類型、特徴を測る視点として「短期・中期・長期視点におけるリソースの割り振り」がある

【短期】目先のゲームでの勝利、勝点効率。最適化
【中期】チームスタイルや戦術的柔軟性の確立
【長期】1、2年先も考え「必要な選手」の起用と育成

例えば、クラブの方向性や監督の志向として「しっかり後方からビルドアップしてポゼッションの質と実効性を高め、どんな相手にも主体性を持ったゲームができるチーム作り」があるが、現状のチームと選手が出来ていない、そこに強みがない場合にどうするか

【短期】目先のゲームでの勝利、勝点効率。最適化

これを最優先に考えリソースを大きく割くと「実際問題できない、試合でやろうとすればリスクが高いから縦に蹴る。あるいは特定のキープ力ある選手に依存し、今あるチームと選手の強み(例えば堅守速攻、セットプレイ)の最大活用を要求する」

【中期】チームスタイルや戦術的柔軟性の確立

これを最優先しリソースを大きく割くなら「部分的に方向性に適合性の高い選手の抜擢はあるが、基本は現状のチーム序列(実績経験値)に従いレギュラ固定し、プレイモデルや戦術の反復練習で熟練度、連携力などの向上を図り試合における再現性を高める」

【長期】1、2年先も考え「必要な選手」の起用と育成

これを最優先しリソースを割くなら「現在のチーム序列より、先々より理想に近い高い完成度を目指して経験値や信頼性は低くともポテンシャル適合性の高い選手を積極起用して中軸選手足り得るまで我慢して育てていく。当然、短期的な勝率は低下」

エリクの監督としての特徴・資質は間違いなく【長期】先を考え「必要な選手の起用と育成」にあり教育者タイプだが、そこにリソースを全振りはしない。育成でなくプロのトップチーム監督である以上、目先の結果も大事。【短期】【中期】【長期】にバランス考えリソースを振る、中庸の将

樋口さんも中庸の将であったが【中期】にリソースを大きく割いた。彼も嘉悦さんも「マリノスのスタイル確立」を最優先課題、チームのフレーム枠組みを作る。それにより継続性を獲得し、編成に際しても「今のチームにどのタイプの選手が足りないかを明確化して獲得する」指針を得るため必要な過程だった

エリクは、よりバランス中庸派。それは彼の指導者としての長い経験が培った「諦観」によるもので、自らの志向や趣向を優先する事はなく、与えられた目の前の現状と要求を受け入れてバランス維持とベースアップに腐心した。だからこそ1年目は、なかなかエリクの色や果たす仕事の意味が見え難かった

樋口さんはホント監督には珍しいほど馬鹿正直なお方で、就任直後から試合後の会見でも、かなり隠し事なく素直に「やろうとした事、実際の可否をどう捉えているか」あけすけに語ってくださったから、答え合わせは凄く捗った。エリクは最初あまりヒントをくれなかったが、3年目になると喋るようになった

なんとすれば俊輔と中澤の2大レジェンドを同時にピッチに起用し「やれるサッカー採用できるスタイル」は制約も多く限定的。樋口さんもエリクも、マリノスの監督に求められるのは「諦観と中庸」であるのは前提であり一定仕方ない。その中で理想を求めたり、要求に応えていかねぱならない

無論、俊輔も中澤も「チーム作りを邪魔する害悪」ではなく、彼ら1人で勝点+8とか失点-10とか破格のアビリティと問答無用の実効性を持つ。別に昔の名前と人気だけでクラブから起用を義務付けられていた訳ではない。チームが勝つために、樋口さんもエリクも彼らを信頼し起用してきた

チーム作りにおいては制約もある彼らを起用し実効性は最大限活用しつつ、且つチームが持続可能性を持ち成長しスタイル確立し、若手も含めベースアップしてレジェンド2人への依存度を少しずつ下げながら再現性ある(偶然でなく狙ってできる)プレイモデルやチーム連携を構築するのが、求められた仕事

――改めてホントに樋口さんもエリクも、ミッション・インポッシブルだったと思うよw 無理ゲー要素満載。でも仕方ない過渡期、変革期のマリノス中村俊輔中澤佑二という偉大なレジェンド2人を抱えたクラブの、至福の代償。不可避の難題。今ようやく乗り越えようとしている

エリクの監督としてのマネジメント・スキル、人心掌握やモチベータという側面には正直、私も不足を感じていた。「人たらし」「その気にさせる」資質が低く、教育者タイプ丸出しと言うか。例えば俊輔をボランチ起用して気持ち良くプレイさせるため、もっとマシなアプローチがあったんじゃないかとか

昔から俊輔のアンチがよく言う「攻撃の時はボランチの場所と仕事、守備の時だけトップ下のポジション」の指摘は一面の真実だ。俊輔は自分の得意なプレイ、やりたいゾーンを選択する傾向はある

俊輔は2013シーズン、トップ下で素晴らしく守備を頑張り貢献しチームを鼓舞した。ただそれは、あのチーム守備組織においてトップ下は最も「フリーマン」要素が高く、他のポジションより「絶対的なタスク」が少ない。自分の判断で「周りを助ける」事ができるポジションだったからでもある

マルキがプレスに行けばフォローする。ボランチが晒されピンチと思えばプレスバックして助ける。イヤな言い方をすれば「自分自身には絶対的なタスク責任はないが、周りを助ける事で評価される」美味しいポジション。不手際やサボりは見えにくく頑張りは見えやすい「あんなに俊輔が守備してる!」と

部活や職場にも、そういうポジションに上手く収まってる世渡り上手は普遍的にいる。絶対責任はできるだけ上手に回避して「フリーマンお助け役」であちこちに顔を出して感謝されるポジション。いや、2013シーズンの俊輔がそうだったとは言わないし、それはそれで実効性あれば組織の機能性

――また話が脱線しつつあるが、つまりですね「中村俊輔がそういう気質で」「守備ではボランチとして絶対的な責任を負いたくないけど周りを助けるのは好きだし上手」「攻撃では相手守備ブロックの内側で受けるの苦手だけど引いて受けて捌く実効性はリーグ屈指」なのであれば、エリクは「君のやってる仕事と資質はボランチレジスタ)のそれだからトップ下でなく明日からボランチね」とは言わずに「いいだろう俊輔、君は偉大なトップ下だ」と言って “そのまま同じ仕事をさせて” ただ実質的なレジスタとして最低限必要なタスクだけ要求すれば良かったんじゃねーのと

「本人はトップ下に拘るけどやってる仕事は実質ボランチレジスタ)」なんて何年も前から周知。今更それを指摘しトップ下という「肩書き」でも俊輔にとっては大事な称号を剥奪せず、不足は「ボランチの」三門雄大あたりに補完させりゃあ良かったんじゃねーのかと。それで誰も不幸になんない

エリクが縦の運動量やインテンシティを評価して起用した三門雄大からして「俺がトップ下?」と違和感抱いて、後の移籍に繋がったあたりもうエリクの教育者タイプ丸出し! 俊輔の乙女心、ロマンが分からない! 「だってオメー実質ボランチじゃん?」それだけは言っちゃダメなヤツだった!

ただエリクを擁護するならば、エリクに求められたタスクは先々も流用可能な「プレイモデルの落とし込み」であり「あたり前の原則」の周知徹底。「このポジションの選手はこのタスクを果たさねば起用できない」そこは選手たちに教え要求していかねばならず、最初から例外アレンジ認めるとどっちらけ

「過渡期における脱依存、新たなベースとなるプレイモデル構築のため不可避な施策」「とは言えもう少し皆が気持ちよくプレイできるアプローチあったんじゃねーの」「結局、その後も俊輔は起用し続けたしトップ下を認めたし」私としても、この問題は未だに明確な評価是非は出せてない。正解はない

――その辺りも全部含めて、エリクの「中庸と諦観」 以下にそれを象徴する印象的なエリクの言葉をいくつか引用する

「私が(PSG監督時代に)下した唯一の大きな決断は、チームのスター選手だったスシッチを先発から外しベンチに座らせたことだ。(中略)彼を外したのは間違ってなかったと思うし、あの決断をしたことには誇りを持っている」エリク・モンバエルツ

「とはいえ、ある意味そんな事ができたのは私がまだ若くて世間知らずだったからだ。だからファンやパリのメディアのプレッシャを意に介さず、スシッチを控えに回すような真似ができたんだ」エリク・モンバエルツ

「(監督続投に選手から反発があった事について)この世界でやっている限り、あり得る事。選手の中には試合に出られないことへの不満、私が実践しているサッカーへの不満など、様々なケースがある。それは世界中どのクラブでも同じで、サッカーの世界ではノーマルな事だ」エリク・モンバエルツ

与えられた戦力と目指す方向性に乖離があっても、それを擦り合わせていくのが監督の仕事。スター選手とも上手く折り合い付き合っていく。それでも上手くいかない事もあるが、現実は現実として受け入れ、少しでも与えられたタスクの達成度を高めるための取り組みを続ける。そのために必要な諦観

エリクが3シーズンで残したものは「若手の成長」と語られる事が多いが、先の総括で述べた通り最後は編成に拠って成された部分が大きく、朴正洙前田直輝も敬真も賢星も、今季チームにその名前はない。喜田も昨季最終盤はポジションを失い、このまま彼が埋もれればエリクの「若手育成」は何だったのか

より大きなエリクの仕事、遺産とはプレイモデルの落とし込みを中心とした「過去のマリノスの慣習を解体し」「新たな “あたり前” をCFGやクラブの方向性と共有しつつ一定構築した」事だと、今の私は振り返り思う

「ビルドアップは俊さん任せであたり前」「守備は勢い任せのプレスかドン引き最後は中澤さんがなんとかしてくれる」 それじゃ2人がいなくなったら、お前らどうすんだと。1人ひとりが正しいポジショニングや、ビルドや守備のスキーム(プレイ原則)を理解し、組織的に出来るようになりましょうよと

ビルドアップは2年目終盤から3年目にかけて大きく伸びた。結局、俊輔がいなくならないと伸びなかった。守備は樋口前監督の最大の遺産を放棄する事になったが「とにかく内を締めろ背後を取られるな」それはある程度徹底された。前に出る守備は全然まだまだ。結局コレも中澤がいなくなってからか

「公式戦でられてないけど練習試合でガス抜きして、この毎日を続けてればいつか上が抜けたら試合に出られるかな」 いやお前ら無理やで。アマチュア相手に “やってる感” だけ得ても無駄。カップ戦で結果出さないと未来はないから死ぬ気でやれやと

マリノスの旧い慣習、なんとなく「それがあたり前」「このままでいい」「だってそれがマリノスだから」でやって来たものをエリクは解体し、新たな土台を構築した。地均し基礎工事で「家」は完成には程遠いから、成果も見え難い。否成果は「ない」先々の成果のための、ベース作り。それがタスクだった

元日の決勝戦後にも書いたが、エリクの仕事が本当に評価されるのは今季あるいは数シーズン先。築いた土台の上に如何なるチームが構築され、結果を残せるか。チームは生き物なので、今後も新たな監督の下でベース部分も再構築作業は随時必要になる。つまり何処までがエリクの仕事か、実に見え難い

それでも私は、エリク横浜の3シーズンを見てきた中で、解体し構築したもの「エリクが残したもの」は確かにあると感じている。過渡期、変革期のチームにおける難しい仕事をエリクらしい「諦観」で時に妥協や諦めもある中で根底はブレずにやり切ってくれたと感謝しているし、彼からの学びも大きかった

エリクから得た最も大きな学びは「与えられた環境、目の前の現実を現実として受け入れる」「結果にも選手にも大きく失望せず感情をコントロールする」そして「過度に期待しないための妥協や諦めもある、思い通りにはならない。それでもチームと選手に対する情熱を失わない」こと

「チームと選手に対する情熱」もっともっとこのチームと選手たちを良くしたい。成長させたい。それが何よりの喜び。指導者としての情熱。日々のチーム練習で、自ら率先して用具を持ち出し設置し、トレーニング中に最も大きな声が出ているのは常に中澤と金井、そしてエリクだった

あれだけ制限あるチーム作りの中で、中心選手やベテランからの反発食らったり、期待した若手がなかなか結果出してくれなかったり上手くいかない事だらけの中で「割り切り妥協し時に諦め」自らの感情をコントロールしつつ、それでも情熱を失わない。エリク半端ない。そんなんできひんやん普通

「妥協する」「諦める」「失望したくないから期待しない」それは誰にでも出来る。でもエリクは、チームと選手に期待し続けた。もっと出来るもっとやりなさいと。私がエリクから得た最大の学び。思い通りにならない事だらけ裏切られてばかりだ。でも期待し続ける。もっと出来る。もっと強くなれると

エリクのパーソナリティ、チームと選手に向き合う姿勢、情熱。それは選手たちよりむしろ「チームと選手に向き合う」私たちファン・サポータこそ学ぶべき点が大きいのではないか。私はそう思う。エリクの遺産は、私たちも引き継げるものであると

■積み残した課題

エリク横浜3シーズンで改めて顕著になったマリノス積年の課題。2017/18シーズン目標に届かなかった理由について思い込み考察

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・ピッチ上の判断と修正力

端的に言ってコレなんじゃねーのかなと。ホント昔から「与えられた仕事と役割は皆がクソ真面目に実行する」「マリノス意外とチャラくない」

でも各々が自分の頭で考え目の前の展開を見て判断し「今何をすべきか」決断実行する主体性の欠如と、コミュニケーション不足

マリノスに「外から来た」監督は、2つの事に驚く。「言われてない事は、驚くほど出来ない。ベースとなる戦術理解や自主性、ピッチでの修正力がない」そして一方、「言われた事の理解は、驚くほど早い。それを実行する責任感と能力は極めて高い」岡田武史も通った道

  • 俊輔や中澤への依存体質
  • 過剰に「約束事」を求める
  • 提示されたゲームプランに従順
  • スコアが動くと常に動揺する
  • 過去の成功体験に縛られる

つまりピッチにおける「変化」「想定外」への適応力が低い。誰かに思考判断決断を委ねる、自己責任の放棄

この指摘の背景部分は、2017リーグ戦総括やエリク横浜3シーズン総括でも触れてきた。「成功を積み過ぎた」とか「ある程度選手に投げて普通にやらせたらエリク初陣で川崎に大敗」「止む得ずプレイ原則でガチガチに縛り樋口監督最大の遺産放棄」とか

――結局のところマリノスは長くキャプテン資質の高いリーダをピッチに欠いて、松田や上野良治や中澤や俊輔といった「キャプテン資質はないが個の強い選手」の志向、彼らが自然と作り出すチームの方向性や展開に何も考えず付き従う癖が半ば伝統的に培われてきた

「キャプテン資質ある選手」とは、俊輔や中澤のような個の強い選手たちとコミュニケーションを取りつつ、チームとしての方向性をまとめ上げて「今はコレで行くぞ!」と言語化して周囲に伝播できる選手のこと。俊輔や中澤にはない。“話しまとめ上げ言語化し伝播する” そのスキルの何処かが欠けている

だからマリノスは、個の強い選手たち彼らの志向と思考に基づきプレイで示す方向性を「空気を読んで察知し」付いていく、互いにコミュニケーションを求めず「なんとなく俊さん任せ」とか「大体いつも通り」スキルを磨きずーーっとやってきた

各々が自分で「今何をすべきか」考え決断したり周りと擦り合わせる習慣が乏しいから「スコアが動く」とチームが動揺しやすい。珍しく前半10分までに先制できた。畳み掛け追加点を狙いに行べきか、一度ゲームを落ち着かせるべきか。前と後ろで判断がバラバラになったり

同じ勝ちパターンを繰り返した事で成功体験に縛られ「前半ゼロでも大丈夫」と上手くいってない攻めに安穏としたり、先制されたら詰んだり、早く先制できてしまったら逆に動揺したり。全部エリク横浜あるある

「試合中は次々に変化する状況を瞬時に判断してプレイせねばならない。決断するのは選手たちだ。何千もの選択肢ある行動の1つひとつを監督が決める訳にはいかない。ベースとなるゲームプランは提示するが、ピッチで決断し、ゲームをコントロールするのは選手たちだ」ハリルホジッチ

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ハリルホジッチ代表でも、全く同じ課題と向き合ってて笑ってしまった。何年もサッカーやってA代表や欧州クラブ在籍するような選手たちですら、この有り様。もう日本人の文化教育、やっぱそのレベルから見直すべき問題なんスかねえ…

「ついつい空気を読んでしまう」「強い自己主張は忌み嫌われる」「誰が場の主導権を握っているか察して追随する」「察するものであり改めて話し合う事を省略する文化」「組織の(暗黙も含めた)ルールから逸脱しない」「ルールを守るのは得意」「自己責任で判断決断するのが苦手」

でもそれは日本人の美徳であってもサッカー的な思考や文化ではない。刻々と変化する状況に、各々が自己責任で判断決断してプレイ選択しなければならないし、展開に変化があればコミュニケーションを取りチームの方向性を定めなければならない

個の強い選手任せだと「大体いつも通り」の時は問題ないが、変化や想定外の事態に上手く対応できない。「いつも通り」じゃない空気になると、皆の感じ方は違ってくるから齟齬が生じる。イメージする方向性「今すべき事」がバラバラになったり、思考や行動がどんどん受け身に後追いになる

会社でも軍隊でも、究極的には「個々の判断やコンセプトが優れているか否か」でなく「全体が同じ方向性を共有し1つの有機体として連動し行動できるか」が、組織としての強弱を決定する。それはサッカーチームも同じ事。それと同時に個々の局面では完全に独立した個の判断と責任感が求められる

エリクは攻守のプレイモデル(原則)を選手たちに与え植え付けてきたが、それはベースとなる原則であり、そのベースの上に如何なるプレイを選択しゲームを作るかは選手個々の判断、責任において為される。「ルールを守っていれば叱られない」ピッチは小学校ではない。自分で考え、決断しなければ

「プレイ原則を正しく理解し活用する」「その上で必要と判断すれば躊躇なくその原則から逸脱する」その自主性を持たねば、エリクの蒔いた種も芽も枯れ腐る。監督が変われば要求もディテールを中心に異なってくるのは当然。従順に従うだけでは、成長も積み上げもない

「同じ失敗をするな」それと同じく「同じ成功を繰り返すな」つまり思考停止はダメだ。同じじゃない。相手も違えば展開も違う。勝利の中にも露呈しなかった疵は必ずある。「前半スコアレスでも後半勝負」そんな曖昧な「勝ちパターン」に囚われてはダメだ。ウノゼロの美学、それは単なる得点力の欠如だ

「前半10分に先制できた」何をすべきかは、相手により自分たちの状況やコンディションでも変わってくる。普遍的な正解「勝ちパターン」などない。そんなものが出来あがってきた時こそ今の自分たちを疑わなければならない。だから常に、試合中も試合後もコミュニケーションを取る必要がある

それを誰かに任せてはいけない。新人でも40歳になる中澤佑二に問い質し、要求しなければならない。新しい監督とも「その要求について、この判断はアリか」質問し擦り合わせなければならない。決して「空気を読もう」としてはならない。最後にピッチで決断しケツを拭くのは自分なのだから

キャプテン資質のある選手がいないのは問題だ。しかし喜田拓也、あるいは今なら飯倉大樹に主将を任せるのは悪くない判断だと思う。仮に喜田がピッチに立たない試合があっても構わない。彼はそれでマイナスの影響を受けるタイプでなく、更に日々のトレーニングから責務を果たそうとするだろう

ゲームキャプテンは、現ブラジル代表のように「持ち回り制」とし個々の自主性や責任感を喚起するのも今のマリノスには悪くないない。全員がキャプテンの意識で、誰かに依存したり誰かが背負い込み過ぎる事も必要ない。俊輔と齋藤学に主将を任せたのは、あまり良い判断ではなかったと私は思う

マリノスに残った選手たち1人ひとりに、強い責任感と自主性を持ちピッチに表現して欲しい。トレーニングからもっと声を出して厳しく要求し合って欲しい。思考判断決断を、決して誰かに委ねない事。それが出来て初めてエリクの残したものも次に残る。正解はない。それを決めるのは常にピッチの選手だ


最後に

――ようやく俺の2017/18シーズンが終わった。いやあ最後に10番が隣街にゼロ移籍しちゃう超絶な「引き」含め濃密なシーズンだったね! エリク横浜3シーズンを振り返っても、3年間掛けてこそ見えたものが沢山あって感慨深い

さあメシにしよう

小学3年時の「ヘチマ観察日記」以来のやり切った感。やればできる子だが、基本やらないスタイル

俺の2017/18シーズンもようやく幕引きできたので、あけましておめでとうございます。2018年も「ウソ、大げさ、紛らわしい」蒼井真理をそれとなく宜しくお願いします

そもそも「批評」などというものは対象の副次的な楽しみ、読み物でしかない訳であって「解や正しさ」はそこにはありません。マリノスの、サッカーの解や正しさはスタジアムの中にあります。ピッチの選手のプレイにしかありません。極論、試合後の監督や選手コメントさえアレは副次的なソレです

言語化の不可能なサッカーという競技は言語化しなければ語り合い批評する事ができないパラドックス。近年はデータ活用が急速な進歩を見せ数値化「可視化」も進んでますが、おそらく私たちが生きている間は「その数値の取り扱い」どう捉え判断材料とするかに絶対解はでないでしょう

「あの時のあの選手のプレイがこんな意味があった」言語化、あるいは数値化されたそれは、何処までも「超多面体であるサッカーというカオスな競技の1シーンの極めて限られた一面」を切り取ったものに過ぎず、網羅は不可能。且つ同じ言葉や数値でも人により捉え方は異なる。正確な定義付けは不可能

でも人は言語化しなければ語れない――そもそも評価のための「思考」すらできない。だからサッカーを語る言葉は、基本全部ウソです。真理などありません

それでも人はサッカーを語りたい、語らねばならぬので言語化する。私みたいに理屈っぽい人間や、言葉を使い選手を指導し統率しチームを作らねばならない監督も「まず自分が納得できる解釈」ストーリ作りをする。私の備忘録も監督の会見コメントも、あれは脳内で作られた物語。サッカーの本質ではない

他人より先に「自分を納得させる」「もっともらしい」勝敗の理由付けだったり、試合展開や選手の評価をストーリに仕立てる。批評者も監督もペテン師の同類。言語化不可能なものを「さも真実のように」言語化して、自分と聞く者とを納得させる。そうしないと解釈も評価も批評も指導もできないから

だから監督が選手が数値が蒼井がこう言ってるから「そうなんだろう」は間違いですよと。マリノスの、サッカーの解や正しさはピッチの選手のプレイにしかない。あなたが見てあなたが感じたものが、あなたにとっての正解。他人の作った物語なんて、ホント副次的な楽しみのための価値しかない

本当に自分にとって大切なものは、自分の目で見て、自分のアタマで考えよう。周りの意見を見るのは「その後」にすべきだし、安易に無批判に受け入れるのは宜しくない。それは俊輔や齋藤学の移籍についても同じ事。まず自分で見て考える事。大切なものについて他人に同調する必要なんてない

他人の意見は自分と違ってあたり前。だから同調も無批判の受容も、そして排除も必要ない。「そんな事を言うな」「こんな事を言う奴はいなくなるべきだ」それがどれだけ社会にとって危険な思想か、もう少し歴史から学ぼう。判断材料、ニュース発信源は多いに越した事はない。判断するのは自分だから

「自分にとって都合のいい耳障りの良い情報だけを求め」「そうでないものは排除しようとする」「目と耳を塞ぐだけでなく存在すら許容しない」それやってると何度でも同じ過ちを繰り返す。自分は常に正義の側にいると思う人間こそが、最も愚かで残忍になれる

蒼井真理は2018シーズンも藤井さんの記事に期待してます! でもプレミアム課金は、もう少し考えさせてくれ…