横濱戦術四天王(仮)~マリノスの戦術を読み解く〜

横浜が誇る戦術四天王による、横浜F・マリノスについてのつぶやきをまとめます。 ちなみに、あと2人がみつかりません。

【ターゲット型や純ストライカ型のFW、あるいはアデミウソンのようなゴリゴリ運び屋はマリノスが優勝争いをするための必要条件か? by 蒼井真理】 about 2016年J1-2節を終えての雑感

aoi_mari.png蒼井真理


――電車内でぼんやりと考えた仮説を、まとめたり推敲せずになんとなーく連投してみたいと思います

「継続性あるスタイル構築や “チームを牽引する優秀な個” の成功体験」がもたらす思考停止に近い「思い込み」について。

――ターゲット型や純ストライカ型のFW、あるいはアデミウソンのようなゴリゴリ運び屋はマリノスが優勝争いをするための必要条件か?

仮説:「嘉悦前社長と下條チーム統括本部長、CFGがエリクを樋口さんの後任、新監督として招くために構築した “スタイルの継続性” という思考メソッド(や昨季のアデミウソンの高い貢献度)が、上手く機能してる部分と、逆に変化や進化を難しくしてる部分(≒思い込み)があるのではないか?」

重要なのは「ゴール数を増やす」⇒「ゴール(フィニッシュ)への逆算を確立する」事であり、その逆算も「どんなに対応されても上回るブッとい柱を1本用意する」でも「中くらいのを3本くらい作る」でもよくて、目的ではなく手段である、と

ただ渡邉千真だったり大黒将志だったり「ポストが務まるターゲット型と組ませフィニッシュワークに専念させられたら、もっと点取りそうなのになあ」なタイプだけが重なって在籍する時期が長かったり、後にマルキーニョスという素晴らしき1トップが出てしまったから⇒

マリノスのファン・サポータや、あるいは選手たちにも「ターゲット型、前線で起点作れる1トップさえいれば」な価値観というか思い込みが醸成されたのでは…? いや、確かに「一般的で成功率の高い」考え方だと思うけど「必要条件」ではないだろう、あくまで手段のひとつだろう、と

でも人は「成功体験」や「一般的な認知、評価の高い手法」に縛られる。マリノスがどーやっても俊輔がピッチにいたら俊輔に依存してボールを集めてしまうのも同じ。過去に「そうやらないより、そうした方が良い結果がでたから」

監督やチームの持つ固有の「スタイル」も、似たようなものだと思う。サッカーに「究極最強の戦術」なんてものは存在しない訳で。理想という思い込みを、成功体験で補強し、失敗体験から排除すべきと判断した要素を削いでいったものが「スタイル」…なんじゃないのかしら

「成功体験」は、スタイル構築に不可欠。それが「今進んでいる方向性の正しさ」を補強し(自信となり)「次に進むべき道を照らす」

そして同時に、チームやそのスタイルにとって「不可欠なもの⇒必要条件」を増やす。「縛り」が増える

2011~12シーズン以降のマリノスで言えば、「俊輔の偉才を最大限チーム力に還元する(≒気持ちよくプレイさせる)」には「4ー2ー3ー1でなくてはならず、1トップには前線で起点となりつつ得点力も発揮するスーパーなFWが必要」そんな縛り、思い込みが醸成されており⇒

それは「2012シーズン終盤あの“ホーム磐田戦”の素晴らしき快勝」をスタートに、2013シーズン終了まで続いた成功体験(偉大なるマルキーニョスの存在感)がもたらした「スタイル構築」と「縛り」

――でマルキを失った2014の樋口さんは、その穴を埋める事は容易でないと承知した上で「代案」を模索したが、行き着いたのは「伊藤翔を劣化版マルキ的に起用する」ダウングレード、縮小再生産な手法だった。2013シーズンが素晴らし過ぎた故に、抜本的なスタイル変更はできなかっ


その樋口さんの手腕に限界を感じた嘉悦前社長は、エリクを招聘し「樋口さんが構築したスタイルやシステムは可能な限りそのままに、エリクの手腕で樋口さんには出来なかった得点力の向上――マルキーニョスがいなくても」を託した

昨季から何度か指摘しているが、この「継続性」「樋口マリノス2013で高い完成度を示したスタイルやシステムを廃棄せず活用する」部分では、嘉悦前社長らの期待通りに上手く機能している。「能動的な守備ができなくなった」等の批判もあるが、手法がやや異なるだけでベースの思想は変わらない

エリク横浜の不運つーか、現在陥っている「思い込みの罠」は2つ。1つ目は昨季ラフィと俊輔の不在者で緊急補強したアデミウソンが、純ストライカ型でもターゲット型でもなく「変化、アクセント系」だった事。そのままでは、俊輔との共存やチームの問題解決は難しかった

そこでエリクは、アデミウソンに彼がそれまで築いてきたプレイ価値観とスタイルの変革と、Jリーグマリノスへの適応を求めた。それが右ウイングハーフ「ゴリゴリ運び屋」としての起用。たぶん、ブラジルや欧州のトップレベルでは、小柄なアデミウソンはあんなゴリゴリ行けない。でもJならできた

アデミウソンの素晴らしいところは「俺そんなタイプじゃねーし」とか言わず、「監督が求めるなら、やってみよう」「ああJなら、確かにゴリゴリ行けちゃうな」「それがチームの助けになるなら」と、それまでのプレイ価値観とスタイルを極めて短期間で変化、適応してみせた事だ

…そうして、昨季ラスト2/3のエリク横浜は「ハーフウェイあたりからペナ角まで1人でゴリゴリ運ぶ」アデミウソンが、チームスタイルの大きな要素となった。「ちょっと相手のプレス強度があがると、引いた俊輔を経由しないと前に運べない」問題を解決し、俊輔は前残りできる時間も増え見事共存に成功

で、この「成功体験」がエリク横浜の新たな「不可欠なピース」「縛り」になり、アデミウソンを失った2年目は彼の不在に汲々としている――と。だが、この件でエリクを「アデミウソンという個に依存して組織構築を怠った」と謗るのは、少しお門違いではないかと私は思う

「本来そんなタイプではなかった」アデミウソンに、マリノスに不足する働きを求めプレイスタイルを変えさせ、俊輔と共存させた手腕は見事と言うべき。トップの監督は「育成やスタイル構築」だけが仕事ではない。勝たせないとクビが飛ぶ。ハサミやカッターがあるのに、素手で紙を綺麗に切る練習はしない

――俺には珍しく、良い喩えだと思う

現在陥っている「思い込みの罠」ちゅーか、まあ厳然たる事実だけどねアデ・ロスは。開幕戦前、早朝にも指摘したけど昨季ラスト2/3は「アデミウソンの適応」がチーム力の向上、スタイル構築の基軸に組み込まれてしまっていたから…。「来季いなくなる可能性あるのに」の批判は、先述の通り無意味

「思い込みの罠」2つ目は、俊輔がエリクの「トップ下じゃなきゃイヤだと言うが、ミーの要求するトップ下像できんの?」な挑発に、あの霧雨のホーム浦和戦で “完全に応えてしまった” 事。いささか瞬間的であっても、誰も文句のつけようのない結果、ファンタジスタの矜持を示した

あの浦和戦を思い出すと今でも背筋が寒くなる。あの試合の俊輔は普通ではなかった。アレを見せつけられたら、誰も文句は言えなくなる。明らかにあの試合から、エリクは俊輔を「特別な存在」として、ピッチでの裁量権を与えた。そして俊輔は、また俊輔らしく少しずつチームを俊輔の色に染めていった

これは俊輔が我が儘だとか、エリクが折れた不甲斐ないとか、そんな次元の話でないと(少なくとも今のところ)私は解釈する。天皇杯の神戸戦の後にも書いたが、俊輔はやはり特別なのだ。彼を保有するチーム、クラブが背負うべき業というか…。もちろん、リターンも大きく特別だ。だからエリクも認めた

――なんだけど、やっぱりエリク横浜にとっては「あまりに素晴らしく適応し戦術の軸となったアデミウソン、その離脱」と「エリクの価値観や方向性とは相容れないながらも、認めざるを得ない俊輔という特別な存在」は、解決の難しい大きな問題、成功体験による「思い込みの罠」として存在する――と

この成功体験による「思い込みの罠」「縛り」はマリノス、エリク横浜に限った問題ではない。解り易い例で言えば、磐田黄金期その後の凋落なんかもそうだろう。解決のためには、監督を変えたり中心選手を少しずつ入れ替えたり(世代交代したり)スタイル。変更したり――変化を怖がらない、が大事になる

なんだけど「継続厨」で「スタイル構築しろ」言い続けた俺が言うのもアレだけど、今回の樋口さん⇒エリクへの体制変更において、(実に結果論で申し訳ないが)少し「継続性に重きを置きすぎた」感がある、と。今回の連投はそんな話

故に成功体験による「思い込みの罠」が、今とても重くなってる、と

じゃあどうすれば良かったんだと言われると難しいネー。樋口さんの築いたスタイルを最大限生かしリーグ優勝を、という意味では……うーんラフィが怪我してなければとか、アデを獲得する時にローン延長オプション付けられてればとか、全部たらればになっちゃうしなあ

内からの改革、「思い込みの罠」その呪縛から逃れるという意味では、今いる選手たちに「俺がやってやる」って気持ちをもって欲しいなとは強く切に思います。「俊輔はいれば頼ってしまう、特別な存在」それがそもそも「思い込みの罠」な訳でね
チームやそのスタイルにとって「不可欠なもの⇒必要条件」「縛り」を増やす、成功体験が生み出す「思い込みの罠」について彼是

近年の「4年で3回リーグ優勝できる広島のしくみ」のベースをミシャが作ったのは疑いない事実。「勝負よわい勝負よわい」言われ不当に評価が低いのは不憫に思う

年間チーム人件費が15億以下のクラブがリーグ優勝(4シーズンで3度!)しかもコレも開幕早朝に書いたが、関東のクラブに対し「アウェイ遠征(やACL)における距離のハンデ」がある広島が達成した事は、ちょっと尋常ではないレベルの偉業と言える。そのベースを築いたのはミシャ

・ミシャと森保一の仕事は、別種の仕事として評価すべき
・喩えるなら信長と秀吉と家康、みたいな
・創業の苦労と二代目、三代目の苦労、求められる資質は違う的な
森保一は「二代目」「マイナチェンジ」「仕上げ」が上手かった
・広島は、その監督交代の「資質の違い」が素晴らしくマッチした

これは理解が浅い他所事についての「仮設」なんだけど、オリジナルのミシャ式は「守備のリスク管理」とか「両WBと3バックの両サイドに求める負荷の高さ」とか「1試合・シーズン通してのインテンシティ」なんかに問題があった。あったけど、ミシャはそれを修正できなかった。今もできてない

それが気付いてないからなのか、修正するのが主義に反するからなのかは他所のことだから解らない

森保一は、それらの問題に気づいていたし、修正するプランを持っていた。守備のリスク管理をミシャよりもして、「両WBと3バックの両サイドに求める負荷の高さ」は「前半は抑え気味にして、攻守に相手選手を走らせる」「WBとCB両サイドの仕事量を制限、分担する」「カップ戦は思い切って捨てる」

⇒などなど修正したら、4年で3度リーグ優勝できた。個人的には、ミシャ式の一番の問題は「両WBと3バックの両サイドに求める負荷の高さ」で、1試合を通してもそうだし、通年でも消耗が激しすぎるとこにあると思うんだけど。森保は柏とミキッチを、すごく大事にケアしてる

昨季の浦和は、宇賀神と関根貴大の、シーズン前半と後半で仕事の質と量が大きく違ったのが失速の小さくない一因だと思うのは、たぶん試合あんま観てないし先入観だとは思うのですが

えーとつまり、ミシャ式にとって「不可欠なもの⇒必要条件」「縛り」に「両WBと3バックの両サイドに求める負荷の高さ」があって、ミシャはそれから逃れられなくて「質の高い2セットを持たないと厳しい」けど、森保は「彼らの負荷を減らせばいいだけじゃん?」と考えられたから、成功できたんじゃないかなあ、と

「思い込みの罠」「縛り」の解決には、監督を変えたり中心選手を少しずつ入れ替えたり(世代交代したり)スタイル変更したり――変化を怖がらない、が大事

なんだけど、広島はそこんとこ「ミシャ⇒森保」でスゲー上手くいった、と

「創業者」たるミシャ、そのベースを引き継ぎつつ「縛られ過ぎない異なる発想、ささやかでも実に適切なマイナチェンジを施す二代目」森保一

必ずしも狙って出来るわけでない素晴らしきリレーが成された、と

マリノスさんは、どうも樋口さんとエリクの「資質」が、ディテールは多少異なるけど、「継続性」を重視するあまり「似通いすぎた」人選になっちゃったんじゃないかな、と。なんとなく思うのです。どっちも「中庸の人」

…うーん、少し結果論、印象論に過ぎるかなあ

マリノスさんの「樋口さん⇒エリク」のリレーの妥当性については保留だ

ミシャ浦和について言えば、今季リーグタイトルが獲れなかったり広島の後塵を拝するようなことがあれば、来季は全力で柏好文を獲りにいくべきだと私は思います。海外なんかでは「仮に結果的に余剰戦力となっても、相対的にライバルの戦力を削ぐ」補強はよくある事ですし

柏がダメなら、もちろん森保