名古屋戦を振り返る。前半は内容的に素晴らしかった。名古屋はピクシーや闘莉王ら中心人物がマリノスを過剰なまでにリスペクトしており「先制されると厳しい」と慎重な試合の入り方をする。どうしても前半は静かな展開で互いにチャンスが少なくなりがち
その中でバランスを維持しながらチャンスを作り、前半終了間際は中町が俊輔を追い越すシーンも増えて兵藤と学にそれぞれ決定機が生まれた。マルキのコントロールショットも惜しかった。結果論で言えば、ここで決めたかった
後半はダニルソンというボールを運べる選手が入ったことで名古屋のポゼッション率が向上。再びスローな、互いにややミス待ちな展開。53分の中町の対応、63分の勇蔵と先にマリノスにミスが続いたがスコアは動かず
俊輔と中町を中心に全体の運動量と前への推進力が少しずつ低下し、20分前後から名古屋ペースに傾く嫌な流れ。直後には名古屋にCKが4本続いた。俊輔と富澤が低い位置で配球しようとするが前が薄く、ボールを上手く前に運べなくなった
受け身に回ると、俊輔と中町を中盤に置いてボール支配を前提とする形は脆さもある。時間帯によってチームが意思統一して「一度引いて守る局面、前から取り
に行って畳み掛けて試合を決める局面」を使い分けたい。それが樋口監督の目指すところであり、であればこそのレギュラ固定でもあると思うが…
後半の金井に「フラフラしてる」と悪印象があるのも、結局のところチーム全体として「行くところ・行かないところ」の意思統一が十分でないことに起因しているのではないか? 曖昧になっていた感は、確かに否めない
俊輔のFKは素晴らしかったが、展開的には「先に1点取ったほうが勝ち」な試合。名古屋の先制点は闘莉王のダイレクトパスが圧巻だったが、焦れた展開で先制を許した。内容的には見るべきものは多かったが、試合運びやゲーム展開的には「負け試合」だったと私は思う
表現が難しい。名古屋戦の結果や内容がダメだとは言ってない。だが展開的には90分、名古屋にとって「してやったり」なゲームだった。ここ数年、常に上位にいるだけのことはある。それが「チームとしての経験値」なのだろう
その「チームとしての経験値」とは何か? マリノスには俊輔、中澤、マルキーニョス、ドゥトラ、富澤、中町…。様々な環境で様々な経験を積んだ選手がそ
ろっている。では何故それがゲームに、「チームとしての経験値」に還元されない(難しい展開で勝点を落とす)のだろう。名古屋との差は何だろう
監督の戦術指揮官としての力量差、と言っては身も蓋もないがそれを指摘する人も多い。実際あると思うが、それだけではないような気がする。チームとしての
方向性の継続、意識共有レベル(蓄積の時間と量)、ピッチ上でリーダーシップを発揮してコントロールする存在(名古屋で言えば闘莉王のような)
チームとしての方向性の継続、という意味では近年のマリノスと名古屋は比べるべくもない。これはチームだけでなくクラブの問題になる。監督を決める強化部、強化部に権限を委ねるトップ…
ピッチでリーダーシップを発揮してコントロールする存在の問題。経験値の高い選手は多い。しかし名古屋戦のような紙一重のゲームをコントロールするリー
ダーが、やはり見当たらない。中澤はいつも試合後「前は、後ろは」とコメントするが、試合中に「1つのチームとして」制御するのは難しいのだろうか
俊輔は最近、少しずつ変わりつつあるように思う。それを実際にコントロールする側に。一方で兵藤や富澤(あるいは今後は中町も)それをしようと試みてい
る。互いに意見をぶつけ合うのは良い。時間をかければ意志統一は進むかもしれない。しかし一方で、絶対的なリーダーが必要なのではないか
特に名古屋戦の後半のような紙一重の展開で、「今は引く、今は畳み掛ける」といった判断を(その是非は結果論でいい)下し、言葉でもプレイでも周囲に伝達
し、チームを一体化させるリーダーシップ。その存在の有無が、チームを個々の集まりでなく組織とし、勝敗を分ける部分は小さくないのではないか
軍や会社の組織で言えば、いろんな部署に経験ある責任者がいて「それぞれの立場で」こうしたほうが良いって意見を言うんだけど、それを統括して「じゃあ"組織全体として"は、こうしましょう」って言う「全体の意思決定・責任者」が不在、みたいな
監督がやるべき問題? 確かにそうかもしれない。でもサッカーという競技を考えると、ピッチにもリーダーは必要だと思う。常に、ではなくとも「名古屋戦の後半のような微妙な展開」では。上手くいかない時とか、個々の判断にズレが生じるような局面で
先にも書いたけど、その判断の是非は結果論なので「正しいかどうか」よりも「短時間で周囲の意識レベルをまとめ、統率できるか」が全て。つまり攻撃陣と守
備陣がそれぞれ90点の正しい、しかし正反対な判断をして動くより、70点でも組織としてまとまったチームのほうが強い。ということ