横濱戦術四天王(仮)~マリノスの戦術を読み解く〜

横浜が誇る戦術四天王による、横浜F・マリノスについてのつぶやきをまとめます。 ちなみに、あと2人がみつかりません。

【どう生きていくかはいつだって「これから」次第だ by 蒼井真理】 about 狩野健太

狩野健太のこの1シーズン、あの騒動からのハーフシーズンが無駄な時間だったとも思わない。プロのキャリアが続く限り、あるいはサッカー人としての人生、もっと言えば生きている限り無駄なものなんてひとつもない。過去をどう生かすか次につなげるか、どう生きていくかはいつだって「これから」次第だ

マリノスで過ごした7.9シーズンで輝きを放ったのは2008年後半、怪我から復帰したハーフシーズンだけだった。でもまだ終わってない。あと最低2週間と1試合、勝ち進めば元日までマリノスでのシーズンは続く

今日の練習試合、1点リードを許した終了間際に森谷が得たFKを譲らず蹴ったことも、最後にチャンスを得るための強い意志の表れだと思いたい。もう26歳なのか、まだ26歳なのか。それを決めるのも、これからの本人の取り組み次第だ
狩野健太の忘れられないプレイがある。2007年4月4日、三ツ沢でのナビスコ杯清水戦。後半から出場した狩野は、後方からの浮き球のパスを前を向いたままノートラップで前方の坂田に流し込む絶妙のスルーパスに変えてアシストした。普通の選手には「発想することも許されない」アイデアと技術だった

2008年。2度の怪我でシーズン前半を棒に振った狩野健太は、初夏のグラウンドを1人黙々と走り無人のゴールにボールを蹴り続けた。その姿を見て、セットプレイのキッカーを欠き残留争いに片足を突っ込んだチームの救世主になるかもしれないと思った

24節の神戸戦、1点リードされた70分から途中出場した狩野健太は、89分にFKからオウンゴールを誘いチームに勝ち点1をもたらした。次の磐田戦から、怪我で戦線を離脱した山瀬功治と入れ替わり3トップの一角に。ここから、狩野健太の覚醒、忘れられないハーフシーズンが始まった

最前線で相手DFに先陣切ってプレスをかける。GK哲也からのパントキックに相手CBとヘッドで競り合い、簡単なクリアを許さず結構な確率でマイボールにつなげる。積極的にDFラインのウラに飛び出す。27節では得意の位置からFKを直接決めて、首位の大分を沈めた

2008年10月25日、日立台で行われた柏戦。39分エリア内の混戦から左足を鋭く降り抜き先制ゴール。53分に柔らかなループクロスで田中裕介の2点目をアシスト。1点差に迫られた84分、小椋の低いクロスに後方から飛び込みダメ押しとなる3点目。2得点1アシスト。狩野健太が一番輝いた日

「2得点で忘れられない試合? いや、通過点です。いつもやっていたことと変わらない。自分はアピールする立場なのは変わらない。レギュラーを獲れるように頑張りたい。レギュラーを奪った? いや、全然。これからです」 2008年30節 柏戦後の狩野健太コメントより

リハビリに励む狩野健太を見て「救世主になるかも」と思ったのは、あくまでセットプレイのキッカとしてであり、守備意識が低かろうと試合から消えようとも、90分ピッチに置いておけばセットプレイで1点には絡むだろうと。守備陣がゼロに押さえれば勝点3、1失点でも勝点1、そういう類の期待だった

しかし2008年後半の狩野健太の輝き、貢献は私の期待を違う意味で裏切った。最初は「こんなことが続くはずがない」「もっと気持ちの弱い、ムラっ気のある選手だから」と思ったが、その予想も裏切られた。あのシーズン、マリノスを残留させたのは狩野健太(と金根煥)だった

しかし翌2009シーズン以降、「ここまで化けたのだから、あとは才能が開花し続けるだけ」という予想と期待も、狩野健太は見事に裏切った。木村浩吉も以降の監督も、そして狩野健太本人も、何故ボランチに拘ったのか。過去は変えられない、変えられるのは未来だけと言っても、それだけは悔やまれる


狩野健太マリノス契約非更新」の報に対する他サポの反応を見ようとドメサカ板のスレ一覧を眺めるも 「前田敦子に初得点許した相手はどうなるの??」 のスレタイに撃沈

健太さんがいなくなった後の「稀代の釣り師」の称号は僕のもの、なんてことを考えているなら金井貢史、君には他にやるべきことが沢山あるぞ