横濱戦術四天王(仮)~マリノスの戦術を読み解く〜

横浜が誇る戦術四天王による、横浜F・マリノスについてのつぶやきをまとめます。 ちなみに、あと2人がみつかりません。

【動き出しに変化を付けてボールを引き出す練習やドリブルから左足シュートの練習、今でも思い出す。胸張ってブラジルにいってほしい。 by いた】 about 学の 2014W杯 日本代表選出について

itaruru.pngいた


まなきたぁぁぁぁ!おめでとぉぉぉぉぉ!涙出たわ……ただ、こっからだね!

ほんとよかった!

高校2年生、17歳の時に惚れてから8年目。
2014年ブラジルワールドカップの日本代表に齋藤学選手が選ばれたこと、本当に嬉しい。そして、誇らしいです。

あどけなく愛くるしい顔は様々な経験を経て戦うプロの顔になり、線が細くコンタクトに耐えられそうにない身体は見違えるように逞しくなり、スピードに乗った状態ではちゃんと蹴れなかった左足でも筋力が付いて強烈なシュートを決めれるようにまでなった。
成長の跡、だよね。

課題とされていた要素を一つ一つ改善し、その一つ一つの努力が血肉となり、そして評価され、夢舞台のチケットに繋がったと思うと凄く感慨深い。決してここまで平坦な道じゃなかったけれど、その努力が結実したのかな、と。

考えれてみれば、Fマリノスの下部組織、プライマリーからJr.ユース、ユースからトップチームと順調に階段を登り、ユース時代にはU17W杯に出場、高校3年生の時にトップデビュー。超エリートの部類に入るのかもしれない。

ただ、トップ昇格後は苦難の連続。 プロの壁に阻まれ結果を出せず出場機会を失い、半月板損傷という大きな怪我を負い、復帰後も「天才小僧」小野裕二の影となり、プロサッカー選手として瀬戸際に立たされるまで追い込まれた。

追い込まれた中で愛媛FCへのレンタル移籍。そこから彼の人生が変わった。勝敗を背負うことの意義を知り、世界の厳しさを身を持って体験した男から学び、愛媛の人の期待と温かさに触れたことで、本当のプロになったのかもしれない。

そして、なかなか前線にパスが供給されないチームの中で14ゴールという結果を出したことで五輪への道を開き、そこからシンデレラストーリーが始まった。

その過程を見守りつつ、どこか嘘みたいだなぁと感じることもあったり。彼の成長速度についていけなくて、想像を上回る形で活躍していく姿にどこか戸惑っていたのかも。今日のW杯の選出にしても、五輪代表の選出も信じ切れなかった。

ただ、それは彼がいい時も、悪い時も、常に課題意識を持ち、努力を続けてきたから。動き出しに変化を付けてボールを引き出す練習やドリブルから左足シュートの練習、今でも思い出す。
才能という土台に努力を重ね、そこに運を掴む強さがあったからの栄誉、胸張ってブラジルにいってほしい。

もちろん、ここで終わりじゃないのは彼自身がよくわかっているはず。試合に出て、活躍してこそ、更に価値が出る。ロンドンの悔しさをブラジルで!とにもかくにも本当に良かった。