エルゴラの藤井記者のコラムを読んだ。webマガジンで一緒に書かせてもらっているし、サッカーは観戦者それぞれに色々な解釈、批評があって良いしだからこそ面白いと思うのだが、いささかミスリードが過ぎないだろうか?
「選手個々の力の総和は昨季よりも確実に上なのだ。(中略)木村和司体制のままでもある程度の成績は出たはずだ」という一文、選手の最終節後「もったいない」というコメントを樋口監督の責任とするような締め方もどうだろう。選手がそのような意図で「もったいない」と言ったと、私は思わない
「マルキ、富澤、中町、ドゥトラ、齋藤と先発の半数が入れ替わっており」と言うが、そのメンバがピッチに揃う終盤のベスト布陣には小野裕二も小椋も谷口も不在だ。また昨季の中盤まで途中出場で大きな貢献をした金根煥がいなくなったことも、試合終盤に勝ちきるためのカードという意味で厳しかった
マルキーニョスは確かに別格の存在だったが、リーグ戦先発は20試合で10得点、終盤までなかなかパフォーマンスが上がり切らなかった。昨季リーグ戦10得点の大黒がゴールに嫌われ続け、昨季7得点の千真が移籍したことを合わせ見れば「数字的には」大きなプラスとは言い切れない
富澤やシーズン終盤の中町が、小椋や谷口に代わりボランチで輝きを見せたのも、コンセプトへの適合度が高かったからであり、「誰がピッチにいたか」と同等以上に、「チームとして何をしようとしたか」が大事だったのではないか
学と中町にしてもシーズンを通して絶対的なレギュラとして安定したパフォーマンスを見せたわけではない。想定外の離脱者がシーズンを通し続出し、疲労の蓄積は昨季もあったがそれは今季も同じ。離脱者そのものは、昨季は望外に少なかったと言っていい
マルキ→大黒・千真、小椋→富澤と考えれば、明白な戦力プラスは(皮肉なことだが)途中加入39歳のドゥトラだったということになる。 だが、注目すべきはそこではないと私は考える
「選手個々の力の総和」と順位表だけを眺めて、監督の手腕の是非を問うのは正しいことだろうか。「選手個々の力の総和」が必ずしも単純な足し算にならないからこそ、広島と仙台が最後まで優勝を争い、大きな補強をした大宮は例年通り残留争いを演じ、昨季3位のG大阪は降格したのではないか?
シーズン終盤に何度か指摘したが、確かに樋口監督は実戦指揮官として足りない部分はある。しかしそれは慎重で堅実な彼のパーソナリティと表裏一体のものであり、これは自論だが「勝負強い監督」と「チームのベースを作る監督」の資質は相反するところが大きいと考える
岡田武史やモウリーニョは前者だ。現実主義者で、与えられた戦力を最大効率化したチームで望み得る最大の成果をだす。しかし「瞬間的な最適化」を優先するため、選手個々やチームのポテンシャルを引き上げることはない。去った後ほとんどの場合一度チームは壊れ、特殊な起用法をされた選手は伸び悩む
「特殊な起用法をされた選手」の例に、CBからアンカーにコンバートされた那須大亮がある。岡田監督1年目にDFラインの前のフィルター役として完全優勝に貢献したが、CBとしてのライン管理、ボランチとしての展開力は必要ない単純労働の中でプレイの幅は広がらず、その後ポジションを転々とした
「那須が伸び悩みポジションが定まらず、結果的にマリノスを離れた」ことが岡田監督のせいだと言うつもりはない。選手のポテンシャルや伸びシロを無視しても「現在のチームに如何に戦力としてハメ込むか」という冷徹な視点が素晴らしいが、長期視点ではチームや選手にとってマイナスもあるという一例だ
話しが大きく脱線した。つまり選手にも様々なプレイスタイル、得意なプレイと役割があるように、監督にもスタイル、得意な役割と苦手な役割があるということだ。「チームのベースを作る」が「勝負弱い」監督としては、ハンス・オフトが好例だろう。磐田も浦和も、彼が去った後にタイトルを獲得した
無駄に長くなったが、樋口監督は「チームのベースを作る」監督であるし(選手のポテンシャルを引き出すのは必ずしも上手いとは思わないが)今季はクラブとしてそれを目標にかかげてやってきた。実戦指揮官としての決断力は低いかもしれないが、資質の問題として、ある程度仕方ないのではないか
――ただし今季の手腕を見て、私の見立てでは樋口監督は大きく「ベース作り」に寄ったスタイル・資質の監督でもない。目標を達成するため、ゲームプランあるいは選手起用にしても実績や個の力を重視する現実派の一面も見える。建築家・教育者というよりはアナライザ「分析家」、バランスタイプか
今のマリノスにより求められる監督の資質はどちらかと問われれば、「チームのベースを作る」ことで、樋口監督は様々な困難を乗り越え、順位表に表れる数字以上に、シーズン終盤のピッチでその成果・積み上げを私たちに見せた。そのことを、きちんと評価すべきだと私は思う。おわり